Friday, March 22, 2013

永井荷風が払わされた”有名税”!

 有名税という言葉を初めて見たのは、『薔薇の木に薔薇の花咲く』や『アトミック街』のいしかわじゅんの『漫画の時間』(新潮 OH! 文庫)でだったけど、その後もたびたび目にすることはあって、大体次のような意味だと解していた。

有名税(ゆうめいぜい)とは、有名であるが故に、知名度と引き換えに生じる問題や代償を税金に例えた単語[1]実際に有名であるという理由で徴収される税金が存在するわけではない。(wikipedia より、強調引用者)
(いしかわじゅんは、池上遼一から徴収していた[池上の絵を大友克洋と比較して批判した]と記憶している)

 ところが、永井荷風著・磯田光一編の『摘録 断腸亭日乗』(上下、岩波文庫) を読んでいたら、荷風が有名税と称して本当に税務署におカネを取られちゃった話が出ていた。

 1941年(昭和16)年の日記から。

八月三十日。幸橋税務署より出向かれたき趣昨日端書(はがき)到着したれば、朝早く風邪涼しきを幸に赴き見たり。けだし本年の所得税去年の倍額に近きものになりたれば去五、六月中抗議のため届出を送り置きしなり。係の役人余を別室に招ぎ仔細らしく書類帳簿等持ち出し貴下の申しさるる所一々尤もなれども世に有名の文士なれば、実際の収入よりも多額の認定をなすは是非なき次第なり。有名税とも言ふべきものなれば本年は我慢されたし。来年は三、四月頃直接に署長に御面談なさるるがよかるべしと言ふ。刀筆の小吏(しょうり)を相手にして議論するも益なき事なればそのまま出で去りぬ。日本の政府は文士の虚名を奇貨(きか)となし実際の収入よりも多額の認定をなして税金を取立て、弁解に窮するときは有名税としてあきらめよと係の子役人をして明言せしむ。これに由つて観るに政府は実際を以て実際となすことを欲せず、即真実を否定して顧みざるものなり。政府の国民に対する奸策驚くべく悪(にく)むべきなり。(強調引用者、pp.149-150)
こんな理由で倍の税金を払わされては堪らないよ。。永井荷風以外にも 「有名税」の被害にあった文士は多かったのだろうか? あと、有名税って言葉は結構、昔からあったんだね。いつごろできたのだろうか?


Wednesday, March 20, 2013

V.ナボコフ"Strong Opinions"から A.トフラーによるインタビュー(1964)


ウラジミール・ナボコフのインタビュー集"Strong Opinions"の感想と冒頭のインタビューの翻訳を前に別ブログに書いた事がある。

”考えることは天才的、書くものは並はずれた作家のもの、喋ると子供みたい”-V. ナボコフ, "Strong Opinions" の感想

あと、同じく"Strong Opinions"中のナボコフによるサルトルの『嘔吐』酷評書評の紹介もしたことが。

ナボコフによるサルトル『嘔吐』(英訳)書評の感想-(V. ナボコフ, "Strong Opinions" から "SARTRE'S FIRST TRY")

1964年のアルヴィン・トフラーによるインタビューも面白かったので頭のところを訳してみた。

- 1958年にアメリカで『ロリータ』を出版したことであなたの名声と財産は一夜で急成長しました。一部の文学愛好家のうちでの好評‐これをあなたは30年以上も楽しんでこられたのですが、-を受ける存在から世界中で知られる問題作の作者として毀誉褒貶を受ける立場になりました。この様な名声の余波のせいで、『ロリータ』の執筆を後悔したことはありませんか? 

V.N. それどころか、1950年ともう一度、1951年 にもう少しでハンバート・ハンバートの黒い日記帳をもう少しで燃やしてしまうところだったのを思い出すとぞっとするよ。そう、僕は、『ロリータ』を後悔したことなんてないよ。彼女は、美しいパズル作品だ‐パズルであると同時にその答えだ。一方がもう一方の鏡像だからね。どう見えるかは見方による。勿論、彼女は、僕の他の作品、少なくとも英語で書いたもの『セバスチャン・ナイトの真実の生涯』、『ベンド・シニスター』やその他の短編小説をしのぐ出来栄えだ。でも彼女に対して出し惜しみは出来ない。このミステリアスなニンファットには奇妙で、暖かい魅力があるんだ。

-彼女の魅力が暖かなものだというのに賛成する読者や批評家は多くないでしょうが、奇妙なものだという事を否定する人は少ないでしょうね。スタンリー・キューブリック監督すら『ロリータ』の映画化を提案したときに、あなたの言葉を引用して、言っています。「勿論、彼らはプロットを変更することになるだろう。たぶん、ロリータはもっと小さい子になるだろう。あるいは、ロリータを16歳にしてハンバートを26歳にするかな」結局、あなたはご自分で脚本を書かれましたけど、最終的な完成品に満足されていますか?

V.N. 僕は、あの映画は絶対に一級品だと思っている。四人の俳優たちは最高の賛辞に値すると思っているよ。スー・リオンが、朝食のトレイを持ってくるところや車の中で子供っぽくセーターを押しのける場面‐この映画には忘れがたい演出と演技の瞬間が存在するよ。キルティ殺しの場面やヘイズ夫人の死のシーンも傑作だ。ただ、僕はこの作品の制作には一切関わっててないという事は言っておかなくちゃいけない。もし僕が関わっていたら強調されていなかった場面を強調しろといったかもしれない。僕がしたのは脚本を書いただけだ。キューブリックはその中のいいところを使ったんだ。
まだ、ほんとにちょっとだけしか訳してない。余力があれば、続けます。